寛永寺

 寛永2年(1625年)徳川家康、秀忠、家光三代の将軍に信任の厚い天海僧正により徳川家の祈祷寺としてひらかれ、その後 芝増上寺とともに徳川家の菩提寺としての性格を持つようになりました。なんと徳川将軍15人のうち6人のお墓がここにあります。
現在の本堂は寛永15年(1638年)の建造で、川越の喜多院から明治12年に移築されたものです。国の重要文化財の指定を受けています。上野は江戸城から見て鬼門(北東)の方角にあるため、寛永寺は魔よけの役割も持っていました。
江戸時代、寛永寺の寺領は上野公園全域とその周辺を含み、最盛期には36の子院と30余りの堂塔伽藍を持つ大寺院でしたが、残念なことに慶応4年(1868年)の上野戦争でそのほとんどが消失してしまいました。

地図

上中から徒歩15分です。
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